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(2010.07.16)
 環ROY × 後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

今年3月にリリースした2ndアルバム『BREAK BOY』で話題の新鋭ラッパーとして注目を集めている存在でもあり、7月21日(水)からスタートする「NANAO-MUGEN CIRCUIT 2010」 Zepp Tokyo公演にゲスト出演する環ROYと後藤正文との対談インタビュー!環ROYの音楽的ルーツや後藤と環の現在のスタイルなど、対談を通して語ってもらいました!
(司会・文・構成/only in deams編集部)

――後藤さんと環さんは、本日初対面になるんですよね? そもそもお二人はTwitterで交流が始まったんですよね?

後藤正文 「ROY君とは今日が初対面だね。きっかけは、Twitterで僕が"環ROY君の音源が素晴らしい"という事を呟いたら、"ROY君本人もTwitterやってらっしゃいますよ"って聞いて。それで挨拶させてもらったんだけど」

――元々、環さんの音源を聴いていたんですか?

後藤 「YouTubeで初めて見てかっこいいなと思って、音源を買って。2009年に連続で3枚リリースしたのを聴いて、その中でエレクトロっぽいのを一番カッコイイって思って。そのころ、S.L.A.C.KとかPSGとか鎮座DOPENESSとかみんなスタイルが独自ですごいなと思っていて。オルタナティブなロックが出てきたころの感じに似ているなと思って。今ここが、一番面白い人たちが集まっているんじゃないかなって思ったんだよね。ミュージシャンとしての感覚もそうだけど、リスナーとしての感覚として、"わっ、すごい!"って思った」

――環さんの音源を聴いて、特に惹かれたところは?

後藤 「最初に関心したのは、フリースタイルであんなに言葉がポンポン出てくるってことかな。どことどこが結びついているのかなと。自分は曲とか書いてると先に音楽が出てきて、詞は書くのが遅いから。しかも、ROY君は即興で韻も踏んでいるし。もちろん、いろんな訓練とかもあるんだろうけど、そのフィーリングがヤバイなと思って。普通にすごいなって思って」

――後藤さんが、そんな風に「ヤバイ、カッコイイ!」と呟いているのを聞いて環さんは?

環ROY 「アジカンのアルバム『君繋ファイブエム』とか『ソルファ』を、'06年くらいに、チャリ漕ぎながら聴いてたんですよ(笑)。だから、そんな風に言ってもらっているのを聞いて驚きましたね。僕、あんまり緊張しないんですけど、結構今は緊張してます(笑)」

――その後、Twitterでのやりとりを挟んで現在に至るわけですね。

後藤 「ROY君がMixCDを作ったのをもらったりしてね。今もよく聴いていますけど。その後、アルバム『BREAK BOY』を聴かせてもらったり、インタビューを読んだりしてね」

――そして今回の「NANO-MUGEN CIRCUIT」の出演オフォーに至ったと。

後藤 「邦楽アーティストに関しては、僕が出演してほしいアーティストのリストを作っているんですけど、その中に環ROY君の名前を挙げていて」

「やぁ~ビックリしました。東京以外の他の地域に行ったら僕のことを誰も知らないだろうからシーンとなるかなと思って、"出演させていただくなら、東京がいいんじゃないですか?"って言ったんですよ。僕のCDとかって50%が東京で売れてる状況だったりするんですよ」

後藤 「確かに東京的な感じがするかもね」

「ZeppTokyoのキャパって2700人くらいなんですよね。そんな大勢の前でやったことなくて。今までやった中で大きい会場は、CITTA'くらいかな」

後藤 「CITTA'は、かなり広いじゃん」

「でもガラガラでしたから(笑)」

後藤 「僕らもガラガラのCITTA'でやったことあるよ。100人くらいしかいなかったな(笑)。切なかったよ、泣けてきた。出るだけでノルマで6万円くらい取られた(笑)」

――これまでを含め、「NANO-MUGEN」にはロックバンドに限らず様々なアーティストを招いてますよね。

imge_001後藤 「最近、日本人の若いアーティストを呼びたいって考えるとヒップホップの人たちの名前が多く出てきちゃうんだよね。サイプレス上野とロベルト吉野とかも好きだし」

「2010年から新しくなってく感じがしますよ」

後藤 「ヒップホップ・シーンが?」

「オールドスクール(※70~80年代のNY市で行われていたブロックパーティから登場したヒップホップ黎明期を表す。90年代初めよりも前のヒップホップを言及する言葉として使われている)、ミドルスクール(※ヒップホップが、黎明期から成熟期へ以降した80年代後半から90年代後前半、ヒップホップがブームから音楽のスタイルとして定着する時期。日本独自の言葉でもある)とかあるじゃないすか?日本でいうとそれが2008、9年くらいまでで成熟して、ここからやっとニュー・スクールになってくるって感じがしますよ。S.L.A.C.Kが出てきて、それを強く思いましたね。」

後藤 「その新しいムードっていうのは、聴いていてわかるような気がするね」

――ここで、環ROYさんがどういった音楽の変遷を経て現在に至ってきたのか? お訊ねしていきたいと思うのですが、10代のころ一番聴いていた音楽というのは?

「親の影響で山下達郎さんとチャゲ&飛鳥さんですかね。全然、どのアルバムっていうんじゃなくて、父ちゃんがテープに録音したものを車の中でのBGMとして常に流れているような状況でしたね。特に、ヤマタツが多かったかな」

――自発的に聴き出したのは?

「最初は、グリーン・デイですかね。スケボーをしてたんで、あとはオフ・スプリングとか」

後藤 「メロコアを聴いてたんだね」

「俺にもメロコア全盛時代があったんですよ」

――中学生のころですか?

「そうです」

後藤 「ペニーワイズとかバッド・レリジョンとか。エピタフ全盛のころだね」

「そこまで広くは聴いてなかったんです。洋楽のメロコアのコンピとかは聴いていて」

――そこから日本のヒッピホップに出会ったのは?

「そういうのを聴きながら、ファッション誌とか読んでいて。おしゃれな音楽がいいなと思って、CORNELIUSとか聴いてたんですけど。ある時、石田純一のラジオを聴いていたら、BUDDHA BRANDが流れたんですよ。それで"何だ!超カッコイイ!"と思って。その前にとんねるずのテレビ番組があって、Bro.KONEとか出てきて、時代的にもちょっとヒップホップづいてたんですよ。ヒップホップっていう新しいカルチャーが日本にやってきたみたいな感じで、なんかカッコイイなって思って。そこで、BUDDHA BRANDをラジオで聴いて、CD屋さんに買いに行って。"ブッタランドください!"って(笑)」

後藤 「Bが抜けちゃったんだね(笑)」

――そこから、いろんなヒップホップを聴くようになるわけですね。

「ヒップホップの人って、仲間の名前を曲の最後で言ったり、ブックレットの最後に仲間の名前をたくさん書いてるんですよ。そこで、いろいろ知っていったんです」

後藤 「高校生のころ?」

「中学生ですね」

後藤 「1995年とか1996年くらいか。俺はそのころ、もう浪人してたな」

INFORMATION

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