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INTERVIEW

LINK結成25周年記念ライブレポート

LINK結成25周年記念ライブレポート

Text:石井恵梨子 / Photo:山川哲矢
(2023.12.6)

LINK結成25周年記念ライブ。会場となる川崎クラブチッタは、1997年に活動を始めた彼らが一度2008年に解散した場所。そして2010年に活動再開を宣言した場所でもある。ここでやることがまずは大事だった。
当日のフロアは、前方に詰めかける人々がいると同時に、各々自由に身体を揺らして後方で楽しむ観客の様子も伺えた。当日券を求めるファンもけっこういて、さらには「おお、久しぶり!」と笑顔を交わす30〜40代の客も多数である。
常に若者たちでソールドアウトになることだけが、バンド活動の理想ではない。

「25年、四半世紀も音楽を続けられていること自体が成功だと思う」と語ったのは、オープニングで登場したアジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文だ。
 そのアジカンは、最新作『サーフ ブンガク カマクラ(完全版)』の楽曲を中心にプレイ。軽やかなギターロック、さらには「遥か彼方」や「Easter」などパンキッシュな曲も放出。LINKとライブハウスでやることを意識したセットリストは今ではかなり貴重なものだ。後藤が両足を開いて高々とジャンプを決めた瞬間は、近年激レアすぎるワンシーンとなっていた。
 すっかり温まった会場に登場したLINK。一緒にアガっていこうぜ、と叫んだ柳井良太(Vo/Gt)が歌い出す一曲目は、今年3月にリリースされた「月の花」だ。まっすぐなメッセージが乗ったシンプルなパンクロック。これはLINKのほとんどの曲に共通することで、メジャーコードを多用する展開、終始全力で叩きまくるドラムなど、こう来て欲しいと思う予感がバチッと叶えられるところに喜びがあり、男臭いガナリ声の柳井と、高音域がよく伸びる小森誠(Vo/Ba)の声が重なった瞬間はたまらない。この魅力は本当に初期から変わらないことを実感する。
 嬉しそうに山上教経(Dr)もコーラスに参加するのは4曲目の「REASON TO LIVE」から。解散前、まだ英語の歌が多かった時代の曲だ。日々の実感を込めた言葉選びより、ガムシャラな勢いで作る一体感が楽しかった時期。だがそれは過去のものではなく、今もフロアにはモッシュピットが生まれ、続々とダイバーが湧いてくる。一度始まれば日本語だろうと英語だろうと客の動きは止まらない。「俺たちだけでライブは完成しない。お前も演奏してここで出来上がるのがライブだから。一緒にライブを作ろうぜ」という柳井のMCにあったように、初期の曲だけ派手に盛り上がり、再結成後の曲はまったり体を揺らす、といったような差がなかったのは特筆すべき光景だろう。
 結局同じなのだ。日本語でも英語でも、高速ツービートでもエイトビートでも、LINKはずっとパンクロックをやっている。シンプルなスリーコードで、パワフルなビートで、こねくり回さない正直な言葉で、日々の面倒臭い煩悶を吹き飛ばす。LINKが続けてきたのは25年だが、遡れば45年前からそうだったのだろう。ピストルズが、クラッシュが、ラモーンズが伝えてくれた勇気の出し方を、彼らはそのまま継承している。大人ゆえの複雑な事情など知らんとばかりに柳井が言う。「お前に言ってんだぜ、自殺する前にパンクロックを!」。
 本編だけで全25曲。アンコールも含めると29曲。相当長いように思えるが、バチッとアガってパスンと終わる曲ばかりなので弛緩することは一度もなかった。アジカン後藤のMCを引き継ぎ、後半、小森が語り出す。「高校生の時にバンド組んで25年続けてこれたのは、宝くじに当たるよりすごいことだと思ってる」。こんな美しい言葉を笑って言えるのが今だ。
1回目のアンコールでは後藤正文がゲストに招かれ、ニューアルバムから「ブライトシティフォーエバー」を披露。実に12年ぶりのアルバムで、プロデュース/エンジニアは後藤が担当している。アジカンとLINK、音楽性や方針は同じではないだろう。ただ、地元神奈川の思い入れある会場で、フロントに立った柳井と小森と後藤の3人が、輝く街は永遠だと歌う気持ちは完全にひとつだったと思う。演奏後、メンバー全員と後藤ががっちり交わしたハグもまた、とても美しいものだった。

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