only in dreams

INTERVIEW

LINK柳井、小森 & 後藤正文 インタビュー

LINK柳井、小森 & 後藤正文 インタビュー

1997年、まだ高校生の頃に横浜にて結成。瞬く間にライブハウスを沸かせる存在になるも、2008年に解散。そして2010年に再始動という、紆余曲折の歴史を誇る3ピースバンド、LINK。このたび、only in dreamsから4曲入りの新作『月の花 EP』をリリースすると同時に、名曲揃いの旧譜をサブスク解禁する。
パンクロックやロックンロールや、あらゆるピュアな音楽をエモーショナルに落とし込んだアンサンブルと、柳井良太の「詩人」と呼びたくなる文学的な歌詞がLINKの魅力。今、彼らは再び、唯一無二のロックバンドの道を突き進みはじめている。同郷・神奈川県で、旧知の仲である後藤正文(only in dreams/ASIAN KUNG-FU GENERATION、Vo/G)にも同席してもらい、バンドを、そして新作を解き明かすインタビューを行った。
※山上教経(Dr/Cho)は欠席

文:高橋美穂 写真:山川哲矢
(2023.4.21)

まず、今回LINKがonly in dreamsからリリースすることになった経緯から教えていただけますでしょうか。

小森誠(B/Vo)「もともと、後藤くんとはプライベートで遊んだりしていて。音楽の話をすることが多かったんですよ。自分のバンドのことも、好きな音楽のことも。そんななかで、レコーディングの相談もしていたんですよね。LINKはここ数年、セルフプロデュースでレコーディングを行っていて。ただ、タイトなスケジュールでやっているから、すぐにいい音で作りたいんだけど、なかなか進まなかったり。それで、『次に新しい音源を作るとしたらどうしようかな?』って思ったときに、俯瞰的に僕たちの音を捉えられる人に参加してほしくて。そうしたら、後藤くんしか頭に浮かばなくって。後藤くんは、僕たちの過去も知っているし、どういう経緯でバンドをやっているかもわかっているから。お願いしたら快く引き受けてくれて。だから第一に、音作りっていうところが大きかったんです」

後藤さんが音作りに参加することが第一で、その流れでonly in dreamsからのリリースが決まったんですね。

小森「そうですね。音作りは、いちばん大事にしたかったんですよ。ミックスやマスタリングもそうなんですけど、録った音のディレクション──特にヴォーカルに関しては、後藤くんはめちゃくちゃうまいんです。それは、レコーディングを一緒にする前から知っていたんで、信用してお願いしました」

後藤さんは、今回のレコーディングに携わるうえで LINKのどこを引き出したいと思ったんでしょう。改めてですけど、後藤さんの思うLINKの魅力とは?

後藤正文「自分自身の悩みでもあるんですけど、『ギターロック、どういう音でやんの?』っていうのは、こういうバンドをやっているみんなの悩みですよね。今、世の中は楽曲を“トラック”って呼ぶような文化が中心で。僕たちみたいな在り方ってね、なかなか難しくって。一発で生々しく録っても“下手くそ”みたいな言葉で片付けられちゃうような時代でもあるので。だから、どういう音がLINKに合っていて、いちばん実直に映るのかは考えなきゃいけないところでした。まあ、でも、LINKの魅力をどう伝えるかっていうと、やっぱ柳井くんにがんばってほしいっていう気持ちがあって」

柳井良太(G/Vo)「(笑)」

後藤「今日、インタビューを受けている柳井くんを見ていると、だいぶ戻ってきた感じがするんだけど、フロントマンをさぼってんな、って思う時期もあったから。『もうちょっと柳井くん、カッコつけてよ!』みたいな」

わかる。カッコいいんだから!っていうね。

後藤「そうそう。カリスマ性があって、ちゃんとカッコつけてるところが好きっていうか。最初に会ったとき、柳井くんは俺に見下されたくなくって、年齢ウソついたんですよ(笑)」

(笑)。

後藤「俺より年上っていう設定で話してきたから、ああ、“柳井さん”なんだって思っていたんだけど『よくよく話したら年下じゃねえかよ!』って(笑)」

柳井「(笑)」

後藤「それとは別かもしれないですけど(笑)、なんていうんですかね、いいシャツを着たり、カッコいいスニーカーを履いたりする美意識が好きだったりするので。実際カッコいいんだから、そういうのを手加減しないでやってほしいし、ちゃんとアーティストなりの勘違いをしてほしいっていうかね。柳井くんが『俺って最高!』って思ってやんないことには、隣で小森くんがどんだけ支えてもダメなんじゃないかなって」

鋭いなあ。

後藤「LINKは、そこでしかないと思っているので。小森くんも、それを待っているっていうかね。まあ、張り合いつつも、張り合う奴がきっちり来てくれないと尖り甲斐もないっていうか。そのバランスは、すごく大事なのかなって思って。だから最近、柳井くんが冴えてきているのは、めちゃくちゃいい流れだなって思っています」

そう言われた柳井くん、新作を聴かせていただいて、私も「ああ、これは柳井くんらしいスイッチが入ってきているな」って感じましたが、自分の中の感覚というのは、いかがでしょうか?

柳井「やっぱり今回、後藤くんとやらせてもらうにあたって、会う機会も増えて、刺激をもらうことも多くって。かなりノッてきている……って言うとあれですけど(笑)。最近ダイエットし始めて、ちょっと瘦せてきているし……まあ、がんばっています(笑)」

見た目も大事ですよね(笑)。

柳井「曲作りに関しては、もっとわかりやすい、伝わりやすい歌詞を意識するようになりました。一時期は、散文詩的な歌詞を書いていて。自分の中では楽しいんだけど、ロックンロールとして3人で鳴らして歌うときには、いまいち伝わりづらいとか、譜割が悪くて音にのりづらいとかもあって。後藤くんには2年間くらい、曲作りも見てもらったりしてきたんですけど。今はだいぶ、そういうところを意識してやるようになって。昔、15年ぐらい前は、わりとわかりやすい感じでやっていたので、それが戻ってきたといえば戻ってきたし。そこに加えて、年を重ねて、いろいろな言葉が増えてきて、ちょっと深いものもできているのかなって感じています」

小森「今回のEPの制作に取り掛かってから、かなり焦点が定まったような感覚がありますね。後藤くんの的確なアドバイスも、かなり大きかったです」

そもそも、後藤さんとLINKは、いつぐらいからのお付き合いなんですか?

後藤「90年代の終わりぐらいに、(神奈川県横須賀市の)三笠公園でやっていた『踏台』っていうイベントで、初めてLINKとアジカンが対バンしたんです。その前、CLUB24(YOKOHAMA)のイベントで、まだ高校生だったLINKを観てはいるんですけど」

へえ、すごい!

後藤「もう、嫌んなるくらいカッコよかったですよ。高校生なのに、モッシュやダイブを起こしているし。僕らはそんな速い曲なかったから。時代を感じたし、ため息が出た記憶がありますね。そのあとに三笠公園で一緒にやったときの打ち上げで初めて話したんですけど、さっき言ったように、柳井くんにウソをつかれたっていう(笑)。俺が20歳ぐらいで、柳井くんに『いくつなの?』って聞いたら、21とか22って言っていた記憶がある」

柳井「自分が年上のほうがカッコよく映るというか……仲良くなりたい気持ちが大きくって(笑)。だいたい、1個上、2個上の人には『タメじゃん!』って言って、タメ口で話すことがありました」

後藤「タメ口でもいいんだけど、入り口でウソをつくのはよくないよ!(笑)」

柳井「そうっすね(笑)」

でも、ウソついてでも、カッコつけたくなる相手だったんじゃないんですか? 後藤さんが。

後藤「いや、そんなことない。当時、アジカンは全然ダメだったし。その三笠公園も、アジカンのときなんて、みんな芝生に寝そべって『なんだあいつら』みたいな感じだったけど。トリのLINKのときには、どこからともなく人が集まってきて、モッシュピットみたいなのができて。『ほんとにここ、三笠公園かな?』っていう感じになって、びっくりしましたよ。その光景は覚えています」

逆に、アジカンのことをふたりはどう見ていたんですか?

小森「僕らは17歳からLINKをやっていて、パンクのシーンにいたんですよ。それで、ASIAN KUNG-FU GENERATIONっていうバンドは知っていたんですけど、実際にどういう音楽をやっているかはわかんなくって。それで聴いたら、ものすごくキャッチーな曲を作っていて。僕はパワーポップが好きだから、ウィーザーみたいなバンドを好きなんだろうなって思っていたんです。それから、アジカンが大ブレイクして。僕がすっごい好きになったのは『サーフ ブンガク カマクラ』(2008年)から。今でも、アジカンのアルバムの中で、いちばん好きかもしれない。あれ、パワーポップ好きは、みんな大好きだと思う」

シーンが違えど、三笠公園で対バンしたように、地元が神奈川というところは同じだったわけですよね。

柳井「使っている練習スタジオが同じっていうのもあって」

後藤「でも、神奈川のシーンには僕ら、居場所がなくて、東京のほうに出ていっちゃったりしたから、そんなにめちゃくちゃ近くにいたっていう感じではなくて。のちに僕らのツアー(『Tour酔杯2006-2007 "The Start of a New Season"』横浜アリーナ公演)に出てくれたりして。お互い人見知りであんま話してなかったけど、だんだん仲良くなっていったっていうか。で、途中から小森くんとよく遊ぶようになって。小森くんが別でやっていたバンド(Your landscape)のマスタリングを手伝ったりとか。そのうち、一緒に飲みに行くようになって。ここ数年はマジで親友みたいな感じだよね(笑)」

小森「ね。数少ない親友、みたいな(笑)。水族館に一緒に行ったりしたもんね」

お互いに経てきたなあと思える発言が続いていますが。LINKは2008年に解散して、2010年に再始動という流れはあるものの、遡れば1997年から続いています。こんなに長く続いてきた理由は、どういうところにあると思いますか?

小森「友達だからだと思います。15のとき、高校に入って、初めて話しかけたのが柳井だったんです。そこから2年間ふたりで音楽をやって、その後でドラムのノリ(山上教経)が入って、3人になって初めて組んだバンドがLINKで。いろいろあったけど、僕ら結構仲いいんです。しょっちゅう遊ぶようなことはないですけど、やっぱり話が合うし。たぶん、僕らにしかわからないことって、ものすごくたくさんあって。まあ、思い出も共有してしまっているからね」

柳井「僕も、友達だから続けているんだと思います。小森と出会って、ノリと出会って、文化祭に出て、めちゃくちゃ楽しかったし。一発目に音を出した衝撃をまだ覚えているし。で、高校を卒業した後に『どうする?』ってなって。大学に行かないでバンドをやろうってなって、25、6までやってきて、解散しちゃったんですけど。復活するとき『80とかまで生きるとして、LINKがある人生と、LINKがない人生を考えたら、あるほうがよくない?』っていう話を、小森とノリにしたんです。それから半年ぐらい、ちょいちょい会って、スタジオで音を合わせたりしていて、再始動することになって。それは、自分たちの人生にはやっぱりLINKが必要だと思ったから。そこでリスタートしたタイミングで、まず友達として繋がっているんだなって感じて。それが今でも続いているっていう」

小森「LINKが活動を止めた後、僕は違う音楽をやっていて。そのバンドのドラムはノリに叩いてもらっていたんですけど、いい感じに音楽を作れていたんです。そんなときに、柳井から電話がかかってきて。まあ、すぐ、そうだろうなあと思って(笑)。で、話をして、こういう気持ちなんだっていうことだけ聞いて、話を持ち帰って。やっぱ、いろいろ考えたんです。これからやりたいこともあるし、解散もしちゃっているし。でも、柳井から『またLINKをやりたい』って言われたとき、まず、すげえうれしかったんです。『その気持ちがすべてなのかな、他のものは余計な情報で、そういうので自分の感情を薄める必要はないのかな』って。ならばそれに従おうと。ただ、半年間ぐらい(再始動を決断しないで)スタジオに入っていたのは、単純に、カッコいい音楽を作れなかったら意味がないなって思って。気持ちだけ先行して、曲がダサいのは嫌だから」

なるほどね。LINKが飛躍した2000年初頭は、青春パンクが盛り上がっていて、その後でメロコアの復権があって。LINKは、どちらのシーンのバンドとも共演していたけれど、どちらにもカテゴライズできない音楽を鳴らしていて。しいて言うなら初期パンクやロックンロールの影響が強めというか。「革命」というキーワードも、楽曲などにちりばめられていて、パンクの衝動を感じたし。時代の流れに巻き込まれることなく、あの若さでスタイルを貫いていたことは、今考えてもたくましいと思います。

柳井「ステージングとか曲に関しては、やりたいことをやっていたら、結果的にああいう感じになって。ロックンロールを意識したことは全然なかったんですけど、対バンとか、来てくれるお客さんから『LINKってロックだよね』『メロコアっていうより、パンクだしロックンロールだよね』って言われるようになって。客観的に見たらそういうバンドなんだと思っていましたね。衝動的なところも、まあ、意識してはやっていなかったんですけど、そういうふうに捉えられていたのかな」

小森「僕らはデビューが早かったというか。18、19ぐらいのときには、単独音源を出せていたんですよ。だから共演するバンドが確実に年上で。10代のときに、LAUGHIN' NOSEやTHE STAR CLUB、COBRAと対バンしていたし。ブッキングでも、どこに行ってもだいたい年を聞かれて、『18です』って言うと、『その若さですごいね』みたいに言われて。それに、すげえムカついていたのは覚えています。『若いからカッコいいんじゃねえよ、単純に俺たちがカッコいいんだよ』って。それに対して反発していたわけじゃないですけど、かと言って大人ぶっていたわけでもないですけど『音楽をやっているのに年齢とか関係ないんじゃないのかな?』って。若い奴でも、年を取っていてもね、ダサい奴はダサいし、みたいな感覚は、みんな持っていたんじゃないかな」

もしかして、その感覚は今もありますか? 「年齢を経たからこうでなきゃいけない、っていう固定概念には縛られない」っていう、逆のパターンですけど。

小森「ああ、それ、ありますね。あんまり年齢とか気にしていないかもしれないです。年取ったからこういう服を着なきゃいけないとか、ないじゃないですか。好きなカッコすればいいし、好きな音楽をやればいいし。海外の10代のバンドとか見て、未だに興奮したりするし。いろんな情報で自分の感動を薄める必要はないと思います」

後藤「僕も最初にLINKを観たとき、メロコアだと思わなかったですもん。パンクバンドに見えた。ジャムとかクラッシュとかを思い浮かべたっていうか。みんなシュッとしていたし。若いからどうこうとも思わなくって。単純に『カッコいいな』って思いましたね。もはや嫉妬ですらない。すごい!と思っちゃって」

2003年に海外リリース(アルバム『THE KIDS ARE ALRIGHT』)して、その後は海外ツアーにも出たじゃないですか。小森くんの感覚を聞いていると、海外で嵌りがよかったんじゃないかな、って思うんですが、いかがでしたか?

小森「確かに、海外でライブをしたときは、反応がすごくよかったですね。CDも物販でめちゃめちゃ売れたんですよ」

後藤「ガレージパンクはね、シーンがあるからね。絶対にもっといけたと思う」

柳井「だから『これ、海外に移住したら結構いけるな』って確信はあったんです。でも、帰ってきたときに、やっぱり日本でやるべきじゃないかなって思って。日本で、日本語詞でやったものを、海外に発信したいっていう。そうなってから、日本語詞の曲が増えていって。そもそも海外に行ったきっかけは、ビリー・ジョー(・アームストロング、グリーン・デイ)が気に入ってくれたからだったんですけど。そのビリー・ジョーが、僕らの曲でいちばん好きって言ってくれたのが、日本語詞の『フリーダム・スタイル』だったんです。そこで、言葉の壁とかないんだなって感じたし」

柳井くんの日本語詞は、本当に印象的なものが多くって。ロマンティックなラブソングも、戦争や自由、革命といったテーマも、照れや躊躇なく表現する潔さがありますよね。

柳井「そのときの自分の心の中を、そのまま歌詞にしていたっていう感じです。回りくどい言い方じゃなくって、ストレートに表現していたっていう」

同じく歌詞を書く人として、後藤さんは柳井くんの歌詞をどう捉えていますか?

後藤「僕は、読んですぐに意味がわかるようなことは歌っていないような気がします。歌詞の魅力は表層ではなく、何を含んでいるかっていう部分だと考えているんですけど、柳井くんの歌詞は、そういう部分に広がりがあるっていうか。だから、現代詩みたいなところもあるし。抽象的なところもあれば、ここはさくっと友達に言うみたいに書くんだなっていうところもあって、そういうバランスも好きだし。『この人、もっと書けるんじゃないかな』って、昔に思いましたね。『ボブ・ディランとか佐野元春みたいにならないかしら』って。でも、最近は意欲的に素敵な歌詞を書くから、ひとりのファンとして楽しく脇で見ている感じです」

小森「僕も詞に関しては、最近すごくいいなって。前からよかったんですけど。僕と見ているものが、全然違うので。性格も全然違うし、好きなものも、好きな音楽も、まったく一緒じゃないし。高校生のときに、自分の持っているものを確実に持っていない人に初めて出会ったんですよね」

改めてですけど、いい出会いでしたよね。

小森「いや、ラッキーですよね。それで未だに一緒に遊んでいるんだから」

2010年に再始動してからは、どんなふうに歩めていますか?

小森「まあ、バンドをはじめた頃とは、確実に変わってくるものがありますよね。自分にも家族ができたり、仕事をしたり、そのなかに音楽があって。ただ、優先順位をつけるわけではないんですよ。僕は全部同じぐらい大切にしたいと思っているので。そのバランスを取るのも、大人になったからできると思うんです。本当にやりたいことって、何かを削らなくってもできるんですよ。昔は、いろんなものを捨ててでもバンドに魂を注ぐっていう状況だったんだけど、よくよく考えたら生活の中の音楽なんで、生きていくうえで無駄なことなんてないじゃないですか。だから別に、何も捨てる必要はないなっていう感じで、今はやっていますね」

そんななかで、この2年は、後藤さんと歩みを共にしてきた。

小森「実は2年以上前なのかもな。コロナの前だったよね、相談したのって」

後藤「そう。一緒にお酒を飲みながら『音源を作りたいんだよね』みたいな話になって。でも、昨今、どっから出すっていうのは、バンドにとってはすごく悩ましいことで。配信の時代でもあるし、そんなにマネタイズってできないよねって。でも、小森くんがoidで出してみたいっていうことだったから、僕としては協力したいと思って。『制作費はないけど、僕がミックスするなら大丈夫かな』っていう話をして。小森くんたちにも、それを了承してもらって。僕も、エンジニアとしての仕事をしたかったから。僕に学びの場を与えてもらうのが条件になっちゃいますけど、そうすれば全員の思惑が一致するっていうか、サスティナブルなやり方かなって。僕らがやろうとしていることって、どこかの大きなレーベルの契約を勝ち取ってきて、そのために好きでもない曲を作って、っていうことじゃないじゃないですか。楽しく生きるためのバンドっていうか、人生としてのロックンロールなので」

ある種、今っぽいですよね。

後藤「本当の意味でのインディペンデントを、レーベルとバンドで話し合いながらやっているんですよ。一発当たったらそりゃあうれしいですけど、そもそも『一発当てる』っていう感覚がないと思うので。なるべく多くの人には届けたいけど、何よりいい作品を作るのが第一っていう」

健全で気持ちいいやり方だと思います。

後藤「はい。でも、レーベル主宰としては売りたいですけどね(笑)。っていうか、世間をあっと言わせたいっていう気持ちはお互いあると思います。カッコいいに決まっていると思って、一緒に作業していますから」

後藤さんの今作への関わりは、プロデュースと、レコーディングと、ミックスと……。

後藤「まあ一体化しているんで。いろんな人の協力を得ていますけど、基本は4人で話し合いながら、ジャッジも一緒にしながらやっていった感じですね。メンバーではないですけど、いちばんのファンとして参加する、みたいな気持ちでやっていました。『俺だったらこういうLINKを聴きたいな』って」

まさに「こういうLINKが聴きたかったって思うEPでした。表題曲の「月の花」は、《月》だったら“月面砂漠ローリングロック”、《花》だったら“愛の花”っていう代表曲も思い出すような、柳井くんワードが掲げられていて、めちゃめちゃ気合いを感じました。

柳井「できあがったとき『いちばんいい曲できたな!』っていう感覚はありました。僕が持っている言葉の根底には《月》とか《花》とか《革命》とかがあるんだと思います。(この曲では)そういう言葉が、パッと出てきて」

《花が咲く》というフレーズのリフレインが印象的なんですが、今回の《花》は、どんな意味合いで使ったものなのでしょうか?

柳井「常に《花》は、きれいなものっていう、そのままのイメージで使っていて。悪いイメージで書いたことはないですね。いろんな花があるし、いろんな色があるし、でも全部きれいだっていう。ただ、花と組み合わせるものによって、花のイメージも変わってくるんですけど。そういった中で、今回《月》を合わせたのは、いちばんいいものといちばんいいものを合わせたっていうか(笑)」

後藤「なんか、いいよね。そのへんの、話せば話すほど、よくなくなるところが、詩人っぽくって(笑)」

柳井「説明が(笑)」

すべてを歌詞で語っているっていう。

後藤「そう、歌詞がいちばんいい人だから」

後半の《君と僕の 距離を繋ぐのは強い想いよ》からの展開にも引き込まれました。

柳井「制作したのが、コロナ禍にちょうど入った頃で。みんな、家にいることが多かったけれど、心のなかでは繋がっているよっていう気持ちを、いちばんストレートに最後、大サビの形で持ってきたっていう」

小森「最初に持ってきたものとは、かなり形が変わっていて。どんどん、コーラスが増えて、きらびやかになりました。『LINKっていうバンドはこういう曲だ』っていう、わかりやすい形じゃないかな。3人のコーラスが入って、グッドメロディで、熱量がある。すごくいい曲ができましたね」

2曲目の「Oxytocin」は、小森くんが歌っていますね。

小森「そうですね。最初、(作曲した段階では)英詞と日本語詞が混ざったものだったんですけど、最終的に柳井が日本語詞を嵌めていきました」

柳井くんらしいぶっ飛んだ歌詞ですが、作曲者の小森くんからイメージは伝えたんですか?

小森「いや、歌詞に関しては、僕は柳井に任せてしまうので。イメージも伝えないんです」

柳井「頭からバーッて書いていったんですけど、ストーリー性のあるものに仕上がって。見えないものよりも、目の前のものを愛そうっていう歌詞なんですけど。あとは、輪廻転生みたいなことも歌っていて。宇宙から赤ちゃんが生まれる、みたいな。タイトルも、もともと『おはようベイビー』だったんです。でも、ちょっとかわいすぎるので変えました(笑)。この歌詞を小森が歌っているところが、僕はさらに好きです」

小森「見たときに『ぶっ飛んでる! ヤバいな』って(笑)。柳井が書いた歌詞の中で、いちばん面白かったですけどね。笑える感じもあって。すごく嵌りもいいんですよ」

後藤さんは、どう思いましたか?

後藤「《パンダ》とか出てきて、かわいい歌詞だと思いましたけどね。不思議な言語感覚ですよね。柳井君が自分で歌わないからこそ、こういう歌詞になっている気もします」

柳井「そういうところもあると思います。これからも小森に歌ってもらう曲は、自分が歌わないような歌詞を作れたらいいですね」

後藤「それは、よくわかります。僕も喜多(建介/ASIAN KUNG-FU GENERATION、G/Vo)くんに歌詞を書くとき、自分では歌わない言葉を選べるので。攻められるところはありますね。『これちょっと、自分で歌うには恥ずかしいけど好きなんだよな』みたいなことも、『喜多くんだったらいいか』って……『いいか』ってあれだけど(笑)。本人が嫌だって言わなかったらいいだろうっていう。別チャンネルを開いても大丈夫っていうかね。LINKでも、小森くんが歌ってくれることと、歌詞を自分に託してくれることが、柳井くんの武器になってくるっていうか。今後の楽しみのひとつになると思います」

LINKは「怠惰な日々」とか、ミドルテンポの楽曲も素晴らしいんですが、今回の3曲目「ライフストーリー」も、グッとくるナンバーですね。

柳井「これは《今日の用事 なんだっけ》《今日の用事 掃除ぐらい》っていうところが、いちばんよく書けたと思って。Aメロでわかりづらい、散文詩的な景色を書いておいて、サビで自分の状態を出したときに、ちょっと哀愁が出るっていう。“楽しい”“悲しい”っていう言葉を出さずに哀愁を表現することが、歌詞を書く上で重要だと思っていて。20歳ぐらいのときに、友達に歌詞のことを話したら『“孤独”っていう言葉を使わないで孤独を表現できる詩人がいちばん尖っていて素晴らしい』って言われて。それまで考えたことがなかったんですけど、確かに歌詞っていうのは、直接的な表現をしないで、心にすとんと落ちるものを表現すれば、自分に寄り添ってくれるものになるのかなって。それ以来、歌詞に深みを見出すようになりました」

スポークンワーズのような語りも入っていますよね。

柳井「曲がちょっと単調だったので、後藤くんが『こういうのどうかな?』ってアドバイスしてくれて。今までやったことはなかったけど、『こういうアレンジの仕方があるんだ!』って感じて。バンドの色が出るやり方で曲が完成したので、『これは新しいやり方を教えてもらったな』っていう感じです」

後藤「端的に、柳井くんは詩人としての魅力があるし、書ける人には書いてほしいと思っているので。メロディにのっていない言葉もあっていいと思うし、唐突に詩の朗読が入って来るのも不自然だと思わないし。LINKの今後を考えると、『歌詞がいい』っていうのは切り札になってくる気がしていて。バンドのスタイルで言ったら、新しくはないじゃないですか。ギター、ベース、ドラム、3ピースでがっちりロックやるっていうのは。まあ、LINKがみんなと違うところは、ほかにもたくさんありますけどね。そのなかでも飛び抜けてユニークなところって、柳井くんの歌詞だと思うから。詩人としての柳井くんを応援するというのも、僕がLINKに関わるうえでのミッションのひとつっていう」

だからこそ、極端なフィーチャーを勧めたんですね。

後藤「はい。(こういう楽曲が)もっとあってもいい、ぐらいに思っていますよ。まるごと1曲、メロディがなくて詩を読んでいる曲とかも、LINKはできると思う。そういう、ビートジェネレーションみたいなことができるバンド、あんまりいないし。海外で言うとコートニー・バーネット的な。歌ってんのか、話してんのか、詩を読んでんのかわかんないみたいな、ああいうノリは、LINKの3ピースの乾いたロックだからこそできると思う。別に柳井くんはギターも弾かなくっていいんですよ。リズム隊に任せればいいんだから。で、詩を読むのに気が済んだら、ギターをかきむしればいいじゃない? そういうバンドになったらカッコいいな、他にいないよねって思う」

新作の話を聞いていたら、違う曲も聴いてみたくなってきましたね!

後藤「いやあ、LINKに可能性はいっぱいあると思いますよ」

そして、EPのラストナンバー「ファウンテン」も、《きっと陽が昇れば眩しい青空》というサビを筆頭に、歌詞に涙が出るようなパワーワードがちりばめられています。

柳井「ありがとうございます。どの曲も、最終的には前向きに仕上げたいと思っていて。あとこれは、何年か前に友達が亡くなっちゃいまして。その友達にあてた曲でもあります。そいつは面白い奴で、ちょっとぶっ飛んだ感じで、僕より変なことを言ったりするんですよ。あんときあいつ、あんなこと言っていたな、みたいに思い出しながら書いたりしました」

小森「大枠だけ考えたら、EPのなかでいちばん最初にできた曲かな。そのときから歌詞がめちゃくちゃよかったですよ。すごい、言葉の力が強かったので」

柳井「あとは、後藤くんのアドバイスでコーラスを入れたら、めちゃくちゃよくなって。サビのところ、もうちょっと軽めだったんです。そこにコーラスをしっかり入れたことによって、パワーワードがものすごい前に出る印象に仕上がって。今回、後藤くんにコーラスを見てもらった部分が多かったんですけど、そういうところで幅が広がったと思います」

改めて後藤さん、どんなEPが完成したと思いますか?

後藤「LINKの新たな章の幕開けというか。第何章かわかんないですけど。『こっからLINK面白いだろうな』って、みんなが思ってくれるようなスタートだと思っていますね。ここは通過点でしかないというか。『まだ、これから面白い曲とか、面白い言葉、面白い活動がありますよ』って思うし。その、ひとつの助けになったんだったらうれしいです」

小森「もともと、プロデュースをお願いしたときに、バンドの内側に入ってきてもらいたいって言っていて。後藤くんは、曲作りの段階で、ミックスとかマスタリングを想定できる人なので。そういう人の意見は、かなり大きかったです。で、僕たちの長所も、向き合わなきゃいけない演奏とか歌詞もわかってくれているので。そのなかで一緒に作業できて、めちゃくちゃ勉強になって。これからの曲作りや、スタジオの進め方にも作用してくると思います」

後藤「バンド自体も、今までとは違うやり方でやりたいっていうビジョンがあったので。ギターの録り方ひとつ取っても、いつもはこうやって重ねていたけど、今回はそれはやりたくないとか。あとは、なあなあにしているポイントとかをみんなで見つけられたと思うし。そういうのは、僕も一緒に勉強しながら発見していく現場だったので、楽しかったです」

柳井くんも、インスピレーションの火種をもらったんじゃないんですか?

柳井「めっちゃくちゃありますね。なあなあにしてきた部分も見えたし。『もうちょっとちゃんと生活しないとな』って(笑)。たとえば、朝早く起きるとか」

大事ですよね(笑)。

柳井「生活がすべて、音楽にも歌詞にも繋がってくると思うから。尊敬できる先輩です」

そして今回、旧譜もサブスク解禁されるんですよね。

小森「過去に出した曲が一気に。only in dreamsに協力してもらって、ここまでできました。未だにライブでやっている曲が多いけど、こういう機会にすべて配信という形で出せて、本当によかったと思います」

後藤「過去のカタログ、大事ですよね。新譜を聴いたら『昔、どんな曲を作っていたのかな?』って気になるものだから。だけど、これまでLINKはいろんなレーベルから出してきたからね、バンドだけでまとめるのは難しいところもあって。そこはスタッフに協力してもらって、各レーベルと交渉するお手伝いはしましたけど。ディスコグラフィが配信されるのは、いいことですよね。CDショップや音楽レーベル自体が、昔より力が弱くなっているところは正直あると思うので。そういうなかで、せっかく作ったものがお蔵入りに近い形になっちゃうのはよくないことだから。そういう意味でも、スタートラインな感じがありますよね。旧譜が(サブスクで)聴けるようになって、新譜も出るっていうので」

この状況からも、作品の勢いからも、これから何かがはじまる予感がします。引き続き期待していますね。

小森「ありがとうございます!」

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